2.『アステリオーンの』――三つの要素
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 前回書いたように(そして英Wikipediaで憎たらしくも言及されているように)『紙葉の』に強い影響を与えたボルヘス作品としては『八岐の園』が筆頭に挙げられる。私自身知らずに読んで驚いた程、『紙葉の』に通じる所の多い短編である。架空の存在に対する扱い方として『トレーン・ウクバール・オルビス・ティルティウス』が着目されるのもまた頷ける。私が初めて読んだボルヘスの作品がこれだが、天体を作る、しかもこのような形で作るとは想像だにしなかったし、そういう手腕を持つ人が居ることも同じだった。(詳しくは「私がボルヘスに至るまで」参照)

 『八岐の園』に続き、他の作品に先立って紹介したい話がある。それは『アステリオーンの。短編集『エル・アレフ』に収録されている、文庫本でたった三頁程のこの短い作品が私は大好きでたまらない。関連作品の中でも最もネタバレさせたくない話であるが、実を言うとこの文章で書くまでタイトルすら何処にも書かずに堪えて来たので(本当)、未読の皆様には申し訳ないが、そろそろ解禁しようと思う。

 話は部分の具体的な描写を避けて読者を誘いつつ、ラストで一気に全貌を明らかにさせるという、ボルヘスお気に入りらしい手法で書かれている。私の場合、霧のように立ち込めるクエスチョンマークは最後から二番目のパラグラフの頭で晴れていった。敏い人ならエピグラフで気付くかもしれない。

 主人公アステリオーンは自身の生まれと、での暮らしについて語っていく。そして話は定期的に訪れる来客について移り、アステリオーンはある来客が発した言葉から、自らの救済者に思いを馳せる。『雄牛、それとも人間だろうか?ひょっとすると身体が雄牛で、顔が人間なのだろうか?それとも私に似ているのだろうか?』最終パラグラフは『救済者』テセウスの言葉で終わる。


 もうお分かりだろう。はラビュリントス、アステリオーンはミノタウロス。『アステリオーンの』は迷宮に隔離された怪物ミノタウロスを王子アステリオーンの視点で書いた短編なのだ。H.P.ラヴクラフトの『アウトサイダー』にも通じるこの視点の特異さに度肝を抜かれない人はそうそう居ないに違いない。

 『紙葉の』的に関係ある形式として『八岐の園』を挙げるなら、『アステリオーンの』は要素である。「ミノタウロス」「迷宮」という、『紙葉の』とボルヘスに共通するビッグ・キイワード、更に『迷宮=』。同短編集内『不死の人』には「迷宮とは人を戸惑わせるために作られた」という件が出てくるし、『アベンカハン・エル・ボハリー、自らの迷宮に死す』では登場人物が追ってから逃れるために迷路を築いて其処に住まうが、「ミノタウロス」「迷宮」「」この三つが抽象化されることなくストレートに揃ったこの短編は、『紙葉の』の数多いルーツの中でもボルヘスが極めて大きな位置を占めていると私に確信させた。


 ダニエレブスキーさん、如何でしょう。




余談。『雄牛、それとも人間だろうか?ひょっとすると身体が雄牛で、顔が人間なのだろうか?それとも私に似ているのだろうか?』これはつまり、アステリオーンは「体が人で頭が牛」ということであり、私達の知るミノタウロスはそういう造形をしている。では「体が牛で頭が人」……つまりこの奇怪な人面牛のミノタウロス像は何処から来たのか?答えは『神曲』地獄篇で出てくるミノタウロスである。ダンテはこの神話には疎かったため、なんとも微妙な間違いを犯したらしい。ボルヘスが講演集などでこのことに何度も言及しているのは、ミノタウロスの神話が彼のお気に入りだったからだろうか、それとも『神曲』がお気に入りだっただろうか……。
私は『アステリオーンの』でミノタウロスがとても好きになって、代わりにテセウスとアリアドネがとても嫌いになってしまった。あとHNとは関係あるようでいてないが、スサノオノミコトも好きではない。



2004.04.08



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