1.『八岐の園』――本による迷宮
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 ダニエレブスキーがボルヘスに並ならぬ影響を受けているらしいことは、『紙葉の』の随処に見受けられる。ボルヘスにハマってその著作を読み漁り、様々な発見をする最中、或る短編を読んで愕然とした。Wikipediaに以下と主旨を同じくする件を見つけた時は更に愕然とし、サイト製作を投げかけた程である。

 ボルヘスの著作に於いて知名度の首位を争う「伝奇集」収録、『八岐の園』。

 『伝奇集』は二部構成になっていて、第一部が「八岐の園」、第二部が「工匠集」というタイトルになっている。「工匠集」という話は無いので、タイトルからも『八岐の園』は『伝奇集』の中でも特別な位置を占めている作品だと推測できるだろう。

〜『八岐の園』作品要約〜
 時は1916年、第一次世界大戦中。兪存(ユソン)博士は英国とドイツの二重スパイ(本当はドイツ側の人間で英国のスパイ)であり、仲間の死からそれが既に英国側に悟られていることを確信する。英国のリチャード・マッデン大尉が既に兪存博士の素性を嗅ぎ付け、彼の命を狙っている。
 兪存博士は英国の新しい砲兵隊の基地の場所を知っており、マッデン大尉に捕まる前にせめて、いやなんとしてもそれをドイツに伝えたいと思う。しかしたった一人、如何なる手段でそれをドイツ軍に伝えたものか?
 兪存博士は思案の結果或る場所へ向かう事を決意する。電車に乗って、とねりこ(アッシュツリー)の林を抜け、兪存博士はスティーヴン・アルバート博士のへとやってきた。スティーヴン博士は兪存博士を、兪存博士の先祖崔奔(サイペン)が作り出した「迷宮」へと誘う。崔奔が世俗の富の一切合財に見切りをつけて作り出した、全ての人間を迷わせる迷路。それが目の前に存在する一冊の本だった。

 この話はタイトルと主題こそ『八岐の園』、流れと結末自体はサスペンス仕立てになっている。兪存博士が如何にして事を成し遂げたかについては、是非皆さんの自身に確かめて貰いたい。(しかし、最大のネタバレとは本と迷宮の関係について書いてしまったことである。これから読もうとしている皆さん申し訳ない、私が楽しみを大いに削いでしまった)

 さて、どこかこの世ならぬ静けさに満ちたスティーヴン博士ので交わされるやり取りには『紙葉の』を思い出すような言葉が幾つも出てくる。そしてその最たるものが「本という形式をとる迷路」である。

 言葉を用い、本という形式をとって作られた迷宮。大変な読書であり、「バベルの図書館」を思い描き(「作った」と云っても過言ではない)、目を患ってなお本を買い、迷宮に思いを馳せたボルヘスらしい発想だ。『八岐の園』に登場する本、というか『八岐の園』に登場する本「八岐の園」の中で、その迷宮は時間と可能性で成り立っているが、今は「脇においておく」。

 『紙葉の』の内容は迷路じみた混乱に満ちているが、「八岐の園」のようにあらゆる可能性が網羅されているわけではないし、核も別のものである。しかしそれを差し引いても、老人の死後誰一人理解できない「無秩序な草稿」のみが発見され、斬新な試みに満ちたそれが本として、一つのものとして復元されていくという過程は『紙葉の』の基本設定"トルーアントによって復元されたザンパノの原稿(ネイヴィッドソン記録)"と非常に近いものを感じるし、混乱に満ちた本それ自体を表現に用いるポストモダニズム的な手法、それを「迷宮」と定義したことには大いに注目すべきだろう。

 その他、蛇足とは思うが、『八岐の園』に見られる『紙葉の』的要素を挙げる。

■スティーヴンソン博士のがあるのは、とねりこ(アッシュツリー)を抜けた先にある駅、アッシュツリー・グローヴ。しかしこれは単なる偶然にしか過ぎないだろう。元々『紙葉の』は「レッドオーク」という短編だったし(Wikipedia参照)、キイとなる樹を『八岐の園』の為だけにアッシュツリーにしたとは考え難い。

■或る物を言い表すために故意の欠落を用いる。「八岐の園」で崔奔は「時間」という言葉を使わなかったばかりか、それを想起させる言葉すら用いなかった。『紙葉の』で時間に当たるものは何かという事は簡単には決められないが、索引に「なし」という項目がある=存在しない言葉の項目を作る事により、(例えそれが作中に於いて大して重要な言葉ではなかったとしても)断片的なイメジを人に想起させるという手法の存在を、此処でのやり取りを通して知る事が出来る。そしてこれは映像におけるサブリミナル効果をも彷彿とさせる。


 或る作品が何かからダイレクトな影響を受けていると云われてしまうのは、本当であれ偶然の類似であれ製作者にとっては余り嬉しい事ではないと私は思う。不名誉とまではいかないまでも、バイアスがかかってしまうのは否めない。そして場合によっては酷評の種にもなる。『紙葉の』で見出される影響が読み手を楽しませているかどうか――それは云うまでも無いことだろう。


 ダニエレブスキーさん、如何でしょう。


余談。『八岐の園』の原題は"forking paths garden"つまり「幾つもの小道のある庭」という意味であり、訳者によってはそのように訳している場合もある。『八岐』は「八=沢山」「岐=分かれている」という意味であり、別に8つしか道が無い訳では無い。むしろ、道は無限にある。


2004.04.08


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